メモのページです

2014/12/20

宮武外骨という人がいた

友人が、滑稽新聞を真似た新聞を発行していた。 (ここあたりに、補足文章が入る予定地) 本年に亡くなった人に赤瀬川原平さんがいる。 超芸術トマソン (ここあたりに、補足文章が入る予定地) これが、発展しての路上観察学会 (ここあたりに、補足文章が入る予定地) ところで、表題のことである。 外骨という人がいた! このように、文庫本化することによって宮武外骨が有名になった。 このあたりの基礎知識を持ち合わせていたので、滑稽新聞を真似た新聞を発行してたひとと仲良くなった。 どうして、宮武外骨に興味をもったのかについては、そのうち書き連ねていこう。

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2014/12/06

荒井由実ファンクラブ

荒井由実のファンクラブが、かつては存在をしていた。 しかし、、、、、、、 外部からは、どうしてそうなったかはうかがい知ることはできない。 1975年の12月にシングルレコードが1位を獲得するとともに、主要な人が去ってしまった。
如何ようにでも解釈できるよう工夫されている。まことに手際のいい職人業、プロの仕事というほかない。
やがて彼女のささやかなファンクラブが結成され、その会報に記事を書くためレコーディングを見学したことがある。
幻の「スカイ・レストラン」 ファンクラブの会報は、ざら紙のものでした。 工夫をしていて、青いインクを使っていたように覚えているが、これは定かではない。 そうして、1976年11月20日に14番目の月というアルバムが発売をされる。 ここにあとで文章を加えよう 以下の文章は、分割をする予定。 荻窪のロフトよりか、新宿ロフトやら下北沢ロフトのほうが有名になっていった。 年表をみてみると、1976年10月に新宿ロフトが開店をしている。 スタンディングで数百名入るといわれていた。 どうも、下北沢のロフトのほうでは、サザンオールスターズがアルバイトをしていたらしい。 タモリは、下北沢のロフトでいろいろな出し物をしていたらしい。 それからは、武道館コンサートとかスタディアムコンサートという時代になるっていく。 1990年代の渋谷系にまで文章が拡大していくのであろうか。

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荻窪ロフトで楽しい夜更かし

2014年11月30日プレイリスト 「大滝詠一『BEST ALWAYS』特集(DISC 1を中心に)」 http://www.tatsuro.co.jp/ssb/
4. 楽しい夜更かし / 大滝詠一 '75 "ベスト・オールウェイズ" 12月03日発売
11月30日の放送分を録音していたのを聞きました。 4曲目に楽しい夜更かし 荻窪のロフトには自転車で行けるので、私にとって夜更かしができる場所でした。 仲間内で師匠のこの曲のことで伝説となっていたことの真相はこうだったのですね。
事実チラシにもさりげなく「ライブスポット初登場!!」の字句が書き添えられている。
師匠も実際にはこの時代になると、メジャーな存在であったということ。
「ここでひとつ、シュガーベイブをバックに大瀧詠一の曲を唄ってみたい、という人は誰かいないか」
こんなことは、ハプニングでしかないことですよ。ステージではおこらないでしょう。
もっとも客席のわれわれは誰ひとり「サカモト」や「ヤノ」の存在を知らなかった。正式なデビュー前なのだから蓋し当然である(矢野顕子がアルバム『Japanese Girl』でデビューするのは翌76年7月)。
坂本龍一もまだデビューをしていない時代である。
小生があのとき出任せに口にした大瀧詠一の「ファンクラブ」はほどなく津田塾大学の後藤さんを「会長」、二松学舎大学の斎藤さんを「会計」に据えた陣容で正式に発足し、ガリ版刷りの読み応えある会報が二十数号まで出た。小生もこっそり愛読者としてその驥尾に附したものだ。
ということで、ようやく伝説がわかったブログはこちらのほうでした。 荻窪ロフトで「楽しい夜更し」

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